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2014年5月9日金曜日

<消滅可能性>豊島区

<消滅可能性>東京都豊島区「昼人口多いのに」「寝耳に水」

「全国1800市区町村の半数に当たる896自治体で、子どもを産む人の大多数を占める「20~39歳の女性人口」が2010年からの30年間で5割以上減ることがわかった。豊島区は、東京23区で唯一、「消滅の可能性」を指摘 」

「人口約27万人。人口密度は1平方キロあたり2万673人(13年)と、全国の市区町村で最多。池袋駅は1日乗降客数が約250万人。「消滅」のイメージとは結びつきにくい」

「仮に」この推測が本当だとして、誰でも言えるようなことを言ってみるならば、文化都市宣言をしたものの、生活しやすい空間が文化であるという視点がなかった、 といえそうですが、自治体のできる範囲でどれだけできるのかわかりません。

子供を文化的な土地で育てたいと思うならお隣の文京区に行くのではないでしょうか。

また、「理由」がないので考えようが無いのですが、引用すると「長男(1)を抱いて区役所を訪れた女性(35)は「子育てにしっかりとカネをかけないと、いずれ『消滅』が現実のものとなるのでは」と突き放す。保育所の確保が難しいため、他の自治体への転出を考えているという。」

というと世田谷と同じ待機児童の問題ですが、本当にそうなのか。

以前書きました(豊島区の由来)が、豊島区はもともと巣鴨村池袋村と雑司が谷村と長崎村と高田村の集合体で「豊島」の中心ではありません。 西巣鴨村とまとめていわれたこともありますが、豊島というなら北区豊島があるように豊島城のあった平塚神社中心に北区(滝野川区だった)が豊島区というべきでしょう。

だから豊島区など名前ばかり大きい砂上の楼閣のように消えてもいいのですが、もともと行政単位、特別区制度そのものも仕切りなおしするべきでしょう。おそらく利権化して再編成できないのです。

2014年5月4日日曜日

ブラックサンシャイン60

池袋サンシャインシティがA級戦犯の東条英機などを処刑した巣鴨プリズン




だったことはよく知られていて、心霊スポットに数えられたりもします。

そして東急ハンズに繋がる地下通路を通って通り魔事件も1999年に起きました。



屋上が開放されてからは飛び降りもでました。
 
 水族館のある建物には昔なぜかエジプト展示のオリエント博物館があり、車両で乗り込む蝋人形館もありました。私はそこの店でモンスターの缶詰とミイラのマスクを買いました。

地下にはザ・ゴリラというキングコングの巨大な生首がいろいろ表情を変えるという装置があり、



そばに巨大なピエロの人形が座っていました。



そのスペースにはザ・ゴリラとかザ・ピエロというネーミングがあったのですが、今となってはなんのことだかよくわかりません。 当時は日本最大のゲームセンターだったそうです。

この上の階の、今は旅券発行場となっているフロアの展示場あたりでよくお化け屋敷をやっていました。フロアぶちぬきで2F使っていたのではないでしょうか。学生と思われるお化けが、手作りと思われるギミックと一緒に客を驚かせていました。


サンシャイン恐怖館です。西洋と日本にフロアごとに分けて、毎年やっていました。

早稲田の演劇博物館が共催とあります。そこの学生が舞台装置や幽霊を演じていたのかも知れません。

30周年のときには、噴水広場



の上のフロアでゲゲゲの鬼太郎ショップを期間限定でやっていました。



子供がくいいるように見ています。かつての私のようです。




しかし日中行くと若い女性がたくさんプラプラしてます。

学校さぼって来ているわけではないでしょうけど、私は昔そうしたことがあります。ゲーセンでは中学生がよく小学生をカツアゲしていました。

私にとってはサンシャインはダークゾーンなのです。これをポジティブに反転させることも 可能と思いますが、乙女ロードやサンシャインクリエイション等のコミケもダークサイドな面を持たないとはいえないでしょう。ただ暗黒面を持たなければ深いものとはいえませんし、反転させねば暗闇のままに止まります。

 池袋の再開発とは均質な空間化に終わるでしょう。その場合闇と同時に光も消えるのです。




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2014年5月3日土曜日

2014年5月1日木曜日

真説・池袋の由来

池袋の地名の元になったといわれる池は西口のホテルメトロポリタンの前にあります。

でもその場所はもともと雑司が谷村のあったところで、池袋村ではありません。

この問題を突いたのはブラタモリでのタモリ本人です。

そこで語られた新説は以下のようなものでした。

1.川と川がT字型に合流した場所を昔「ふくろ」といった。


2. 池袋村絵図を見ると北側にそのような川と川の合流点がみられる。


3.よってこの川の合流点の「ふくろ」が池袋の地名の由来ではないか。

池袋村絵図


ではこの場所はどこなのでしょうか。

 豊島区にはかつて最長の長さの谷幡川という川がありました。
谷幡川

豊島区の長崎地区の粟島神社から椎名町を経て立教大学のわきを通り板橋から大塚に向かい小石川を抜けて後楽園で神田川に抜けています。

この谷幡川が現在の豊島区と板橋区の境界線になっているあたり、板橋駅の近くと、東上線北池袋駅の近くを通る協和会の商店街の通りをまっすぐ抜けて、下板橋駅のホームの最後尾が見える東上線の踏切を渡って、つきぬけてぶつかったところ、書くとわかりにくいですが地図で言うとここになります。




























 
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東京の戦国大名

東京の戦国大名は小田原北条氏ですが、戦国時代のはじまりである「下克上」の言葉のもとをつくったといわれ、戦国時代の終わりは豊臣秀吉による北条氏滅亡ですから、本来なら大河ドラマであつかわれてもおかしくありません。拠点の小田原や最後に残党が滅ぼされた寄居で北条祭りをやっています。なぜか江戸時代の藩主よりも北条氏のほうが人気があるようです。寄居では滅ぼされたことを題材にした祭りですから、よほど特別な関心があるのだと推測します。東京では立合川の名称などに伝承が残っているのですが、古代の平将門よりも少ない気がします。徳川氏が北条の足跡を抹消してしまったのでしょうか。それでも戦国大名としては古文書が一番残っているのが北条氏で、当時の税金取立て帳である「北条氏所領役帳」には、江戸の地名が記されていて、現在と照合することができます。ちなみに北条氏もライバルの上杉謙信も本名ではありません。関東の覇権をあらそうにあたってそれぞれの名前を、北条氏は自薦、上杉氏は頼まれて受け継いだのです。武家は平将門以来のこの土地に特別の愛着があるのでしょうか。

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豊島区の由来

池袋区や目白区とかいう案もあったそうですが、なぜか鶴の一声で豊島という上位の名前に決まったそうです。なぜ豊島が上位なのかというと、大体新宿の北西半分からは江戸の郊外で、北豊島郡と言ったからです。豊島とは北区豊島に菩提寺が残っていますが、豊島氏という昔この一体を支配していた一族で、豊島城は現在の上中里近くにある平塚神社だといわれています。この一帯は古代の豊島郡衙という郡司の役所の遺跡が発見され、地域の中心だったことが確認されています。他に一族の滝野川城、板橋城、志村城、赤塚城があり、練馬城は現在の豊島園です。石神井公園のある石神井城で太田道灌に滅ぼされ、練馬区では石神井池に身を投げたという鶴姫まつりというのをやっています。江古田・沼袋の戦いで殺された豊島氏の兵隊が埋められた豊島塚があり、リヤカー一杯分の骨が出たといいます

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江戸の白熊



乾いた街の片隅でお前は何を探すのか



江戸の黑豹、ならぬ江戸の白熊、のお話です。















ソメイヨシノの発祥地で知られる染井霊園は津藩藤堂家下屋敷でした。




















駒込から巣鴨の豊島青果市場にわたる広大な土地なのですが、ここで白熊
が飼われていたと記録にあります。

駒込駅の六義園前から続く道を駒込橋を渡って左側がずっと藤堂屋敷なのですが、
白熊がどこで飼われていたのか、その白熊はどうなったのかは記録にありません。

そこで旧藤堂屋敷跡を探ってみました。
 入って一番最初の左側の道あたりからもうずうっと左側が下屋敷です。広大すぎて
面倒くさいです。

途中で屋敷の門が移築されているところに寄りました。蔵は違うようです。



そこから染井吉野発祥の地たる染井村の鎮守によりました。植木屋、種屋が多く、

その名残は旧中仙道沿い(地蔵どおり)にあります。

気がつくと染井霊園の半分は屋敷です。広すぎて全くわからない 。藤堂家の半分の
縦と横の辺をなぞって終わってしまいました。

霊園に接する青果市場が屋敷の境なのですが、立て札があり巣鴨御薬園跡とあり、
小石川植物園のような江戸医学史の場所のようで、森鴎外の伝記ものに出てくる
渋江抽斎に関連するような渋江長伯という名前がありましたが調べても関連は出ませんでした。 

今回は屋敷の広大さと鴎外の史伝ものの事を思い出して終わってしまいました。
 次は別の角度からアプローチしていきたいと思います。

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2014年4月30日水曜日

鉄拳のパラパラマンガの展示 池袋サンシャイン60噴水広場

鉄拳パラパラマンガの展示をやっていました。何か子供向けなのか、毒気がまったくなくなってしまっていました。展示の理由を係りのお姉さんに聞いてみればよかったのですが、時間がなかったです。次回噴水広場に行ったら、インタビュー兼ねて聞いてみたいと思います。
昼間に来たサンシャインシティアルタ
と違って、夕方五時すぎのアルタは女子で賑わっていました。噴水広場で何をやったらいいかは今度考えてみたいところです。サンシャインクリエイションなどのコミケや乙女ロードのやおい系の漫画書店や執事喫茶などの文化が花開いているようですが、それらと家族連れの多い噴水広場とは関連付けがむずかしいでしょう。

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「池袋大改造」プロジェクト始動 特区外れショック…新宿・渋谷に対抗

http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20140429-00000000-biz_fsi-nb

 「旧・巣鴨刑務所跡地




を再開発して1978年に開業した池袋サンシャインシティ



以降、大規模な再開発事業がほとんど実現していない。」

 「池袋が、アニメやコスプレ好きの女子たちが多く集まる“聖地”として注目されるようになったのは数年前から。」

 「こうした状況を見て公園に隣接して立体駐車場を経営していた栄真が若者をターゲットにした商業施設「池袋WACCA」の建設に着手。今秋に完成する。」

 とありますが、池袋駅東口は
 「東京オリンピック前の2018年度までに整備」、
 西口は 「難航する西口地区のまちづくりに昨年暮れ、三菱地所が名乗りを上げた。『まちづくり協力者という立場で、手弁当で相談に対応しているという段階』(三菱地所広報)というが、『合意を得られている地権者は6~7割。何とか8割以上に高めて再開発準備組合設立までこぎつけてほしい』と豊島区担当者は期待する。 」


 私は西口には将軍御成道というのが現在のロサ会館あたりにあったというのが気になってます。江戸地図にあるのですが、将軍吉宗が大根畑をわざと馬でジグザグに突っ切って畑を荒らし、貧しい百姓に大根代といって金をたくさん渡し、吉宗の徳を称えてそのジグザグの馬の足跡を将軍御成道といって残したものですが、現在跡形もありません。なんとか再現できないものか、どの地点だったのか検証できないかと思っているのです。

 池袋村はもともと何もないようなところでした。鎮守の氷川神社



は離れたところにあり、新川越街道の高速道路によって分断されてしまっているので、池袋駅西口のこちらがわでは末社の御嶽神社が逆にメインになりました。

 もともと隣接する雑司が谷村



鬼子母神が栄えていたのです。今でも鬼子母神の大祭は盛況です。雑司が谷霊園



には夏目漱石の墓


もあり、どちらかというと古くからの文化的土壌は雑司が谷のほうにあるといえるでしょう。

 また、同じ豊島区では巣鴨や大塚(昔はここが巣鴨でした)の方が栄えていました。江戸名所図会には巣鴨(現大塚)十羅刹社



というのが出てきます。神仏分離令で廃止され、文京区側の地名である大塚が巣鴨の地にもたらされました。このように豊島区として考えるなら池袋だけの点の視線では足りないと思いますが、近隣自治体との関係や予算の配分の問題もあるような気もします。

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2014年4月23日水曜日

不寝見(ねずみ)塚


不寝見(ねずみ)塚とは現在の池袋と目白のあいだ、上がり屋敷(将軍の鷹狩りの休憩所)公園の前のマンションあたり、旧長崎、池袋、雑司が谷3村の境に、義経を討った源氏の一行が奥州から鎌倉への帰路、見張りを置いたところでした。江戸時代にたたりのある白狐の塚とされ、狐塚という地名が明治の市町村制の移行までありました。(豊島の民話) http://youtu.be/TSxlEBhuTGY

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