経済人類学では非市場社会においては宗教的儀礼と経済的活動の区別がなく、支払いとは祓い清めることであり、貨幣は宗教的呪物としてもっとも価値を持つものであり、社会を統合するものでした。
そして「社会」の定義としては、
- 同じ貨幣を持ち
- 同じ祭りを行い
- 同じ刑罰、タブーを持つもの、
と定義されました。
祭りは共同体の成員に対する財の再配分の機会であり、「市」はその機会に立てられました。
日本民俗学の創始者の一人柳田国男は、神社の立てられる場所を関東のような台地においては水が湧き出るところで、そこから田畑に水をひいたとみなしました。
神社は共同体の宗教的儀礼の要であり、そして財の再配分の経済的場所だったということになります。
そして神社は国家神道批判があるように天皇に一元化されるシンボルだともいわれるのですが、もともとはその土地の神であり、日本が場所連合として成立する際に天皇をその連合体の象徴にする際に天皇家との関係も付与されたものです。
もちろん日本全体の財の配分、税やサービスの貢納とそれに対する報奨というように国家レベルでの経済と象徴の統合的行為があるわけですが、さらに個別の場所において経済的機能を担っており、共同体の中心でした。
現在も最も古くから残っているものは神社と地名、地形と仏閣などが多い。
これは思想というより、共同体の歴史、精神史ともいうべきものであり、現在でも活用されるのを待っているのです。
そしてそれにはまず象徴として取り戻さなければいけないだろうというのが、私の主張です。
社会企業家という言葉が日本に出たはじめと、NPO法人化のはじめに僕はいました。そのとき僕はあちこちまわり、見聞きしました。
当時は何も実態がなく、無認可保育園が社会企業というのは、隙間産業を狙ったからだ、と保育所の経営者に聞いたことがあります。
空家や古民家は建築系の学生を中心に、あちこちでリノベーションが行われていました。
しかし学生が卒業して終わったり、若い人しか集まらず、あるいは若い人が前の世代に対抗して作っているという意味合いも生まれてしまいました。
私がその後、日本でホスピタリティ銀行を唯一商標登録している、地場金融機関の巣鴨信金で行われていた研究会などに行って思ったのは、歴史の軸が欠落して、世代的にも人的にも分断されてしまっている、ということでした。
店や場所が一件、あるいは数件点在してもそれは点でしかなく、その地域における面として広がっていかないのです。
そして私が古地図や地域史を引っ張り出してきて目をつけたのは、地名と神社でした。
変わってしまったものもありますが、変わってないものはそれらと仏閣だったりするからです。
地名の由来や神社などをイベントに常に絡めて考えていくということです。
そして見えなくなってしまっていても、その土地にはその土地固有の神がいる、神話がある。
地域のキャラクターというのは、現在の店や物産などの部分ではなく、イベント、祭礼などと絡めて歴史貫通的に創造されるべきで、その手がかりが地名や神社だというものです。