2014年11月27日木曜日

性差について

フレンチ・フェミニズムは生物学的性差も文化的につくられたものだと否定する。
多様性といってみたとて、前提には男女という既存の枠組みがあったりする。

そもそも性差とは何か?


男が語った女も、女が語った男も的が外れているように思える。

さらに結婚していようと異性の恋人がいようと子供をつくっていようと、互いを理解しているわけではまったくないということに驚かされる。

だが人間が他人を理解できない、自分も他人から理解されないという一般性ではない。

異性をめぐる緊張感やテンションは存在するからだ。


それを性欲一般に還元しても答えにならない。

性欲とは何かという問題にずらされるだけだ。

生殖のためだと一般化するものはいまい。


この問題は結局誰も答えていないようにみえる。





2014年11月26日水曜日

酒房DT


 男は西新宿のバーのカウンターで注文待ちをしているあいだ、一冊の本を手にとって眺めていた。
 
 その本の表紙には、「アジアを巡る歴史認識」とタイトルがあるのに、表紙を飾る絵はアニメ顔のミニスカ女子高生が描かれている。男は中年。安っぽいスーツの肩にはフケがたまっている。短く刈り上げた頭に細いメタルフレームのメガネをかけ、髭の剃り跡が濃い。

 バーはカウンターに椅子が56席、ボックス席が2つほどあるだけで、いま店を開けたばかりの18時にはまだ他に客はいない。ママは20時からくるのでバイトの女子大学院生が一人いるだけである。

 男は院生がビールをケースから取り出しすために下をむいて腰を曲げている隙に、本を読んでいるふりをして胸の谷間をチェックした。胸はまったくなかった。院生は色白で髪の毛を無造作に上げており、特徴のない顔だった。男にとっては女が有名大学の院生であるということと、自分より若いということに意味があった。

 男が他に人のいない早い時間帯にバーに来たのはこの女目当てだった。男は自分が歴史の問題に興味のあることをひけらかそうとして、そしてアニメ顔の女子高生の絵なら自分より若い女の気をひくだろうと思って、カウンターに座って本をわざとらしく広げているのだった。

 女は反応しない。横顔を男にみせながら、少し口を開けたまま何か黙々と作業している。男が女の口元をよくみると、前歯が2本だけ飛び出していた。男は自分が飼っているハムスターを思い出して、「ハムスターみたいで可愛いね」というほめ言葉を思いついたが、沈黙を破って何かしゃべりだす勇気がもてなかった。こうして時間をつぶしているうちに誰か客が来てしまうかも知れない。次々と客が来たら、閉店まで何も話しかけられないかもしれない。いつも男はそうして無駄に金と時間をつぶしてきたのだった。

 「あの・・・・」と男が言い出しかけると、女はちらりと顔を上げて男のほうに目を向けた。男はどっきりして二の句が告げなくなった。女は忙しいらしくまた下を向いてなにかやっている。

 一瞬顔を上げた女をあらためてよくみると、化粧はまったくしておらず、TシャツにGパンの女っ気のまったく無い格好だった。華奢な体つきと髪の毛ぐらいしか女であると判別できる要素がない。

 男は沈黙に耐えられなくなって女が出したビールを飲んでお通しに手をつける。

 「きゃっ!」と女が急に飛び上がる。「どうしたの?」
 
 「ネズミ・・・」
 
 男は「ネズミに似てるのに怖いんだ?」と冗談をいおうと思ったがいわなかった。
 
 「この前もネズミが出たの」

 女は気が動転したのか急に饒舌になった。
 
 「ネズミそんなに怖いの?」
 
 「ネズミ怖いからこのお店やめようかな・・・」
 
 「ネズミ可愛いじゃない。ミッキーマウスとか」
 
 「おうちでは猫を飼っているからネズミは出ないの」
 
 「最近の猫ネズミとらないでしょう?店で猫飼うわけにはいかないしなあ」

 男は話を引き伸ばそうと酒をあおりながら言葉を重ねる。女に酒をすすめるとあっさり飲んだ。
 
 「いただきます」
 
 女は酒に強いようで結構飲んだ。外は雨が降りだし、未だ次の客は来ない。

 かみ合わない会話のまま、男は他に客が来ないこの店のカモにされたようだった。女に酒をすすめて二人でどんどん飲んだ。酔った勢いで歴史のうんちく自慢や、女がネズミに似ていることなど、思いついたことを全部しゃべってしまった。女は適当にあいづちを打ち、なんにでもあてはまるようなあいまいな返事をしていた。

 突然後ろからガタン!と扉を開ける音がして男はビクッとした。次の客が店に入ってきた。
  
 「いらっしゃいませ」
 
 男はあせった。次の客はまずトイレに向かった。男はチャンスと思って女に連絡先を聞いた。酔いと焦りが後押しした犯行だった。女はあっさり手早く伝票用紙をちぎってボールペンで何か書き込むと、男に渡した。男はすばやくその紙をポケットに入れると、金を払って店からあわてて退出した。
 
 男はかなり飲んでしまい、自宅への帰り道は覚えていなかった。翌朝男が起床して、女からもらった紙を開いてみると、「死ね」と書いてあった。

2014年11月18日火曜日

高円寺の国津神はなにか

高円寺の国津神はなにかhttp://kouenji.biz/chara/

ということで、ゆるキャラ作りをネタにして高円寺に取材にいってきました。題材は高円寺という地名、川、神社などです。以下が私が絵は稚拙ながらアイデアとして出した高円寺桃園姫です。高円寺の名前の元になった宿鳳山高円寺とそこに祀られていたという桃園観音、 そこを流れていた今は緑道となっている桃があったという桃園川をイメージし た。高円寺の「高円」を月とみたてた。桃から出たかぐや姫のイメージ。



ネタにしたのはまず高円寺氷川神社です。




気象神社というのがあり気象予報士の資格受験の願掛けとかしてあります。源氏が由来の一つとされています。駅の近くなので邪気がそこから漂ってきますが、清浄な雰囲気はありました。次は地名の由来の高円寺です。氷川神社から行ったので、西の墓地から入りました。



門前の商店街も含めてここは高円寺の中心だな、と思いました。この裏に桃園川というのが昔流れていて、桃があったそうです。今は中野に続く緑道になっています。もともと桃園観音というのがあったそうです。この「桃園観音」を復活させて桃の木を植樹し、緑道を下水から川に戻せばいいのです。

大久保通り沿いのここを抜けていって高円寺天祖神社に行きます。字小沢の鎮守で、伊勢から勧進した神明社だったそうです。北の氷川神社、南の神明社だったようです。こちらのほうが古いようですが、氷川神社に比べて雑然としていました。どちらかの神社は高円寺と一体だったのが神仏分離令で切り離されたようです。



これで終わりかと思いきや、大久保通り沿いに中野に向かうと稲荷がありました。


この大久保通りを直交する小道はニコニコ商店街と名づけられていますが、古くからあった通りとあります。高円寺近辺の古地図にはあったかなあなどと思いました。

2014年11月17日月曜日

まちのトレジャーハンティング@豊島区 報告会〜トークライブ

豊島区についてはその地名がこの土地と直接は関係ないこと、池袋の地名にまつわる新説、鬼子母神の祭りなどについてこれまで書いてきました。

今回いろいろなアイデアが出されたのですが、これまで私が述べてきた日本全体における基本的な位置を重ね合わせてみます。

くりかえしになりますが、水とエネルギーを含めた衣食住の再生産をある生態的な圏域で可能にしていくこと、これが地球上での限界経済、人類の生存経済の要であります。

その場合日本で必要なのはその土地の神々をシンボルとして再生させることです。

ゆるキャラや妖怪にその萌芽は現れていますが、土地と関連させたものとしては古事記における国津神と天津神(現在は天皇)の関係において国津神を復興させることです。

雑司が谷でいうなら鬼子母神という神がはっきりとありますが、豊島全体でいうと、巣鴨が中心でその要は十羅刹女、今の大塚天祖神社であることはすでに述べました。

豊島区を構成する巣鴨村、池袋村、雑司が谷村、高田村、目白村、長崎村、新田堀の内村 などのうち一番栄えていたのが雑司が谷の鬼子母神、巣鴨の十羅刹女となります。

神仏分離令で廃仏毀釈されましたが、戦国時代より仏教が天津神的位置におり、国津神が感化されたものと考えることができます。

さてこれは宗教的解釈を対立させるとやっかいですが、人類学的、神話的表象とみなすことができます。

十羅刹の復興および鬼子母神のブランチとして吉多明神を復興させることを提案するものです。


2014年11月13日木曜日

恐怖


 雨の中、閉まり始めた踏み切りの前で、傘をさしながら電車が通り過ぎるのを待っていると、踏み切りの真ん中にくしゃくしゃになったかたまりが見えた。

 ここは魔の踏み切りで、一度閉まるとなかなか開かない。私はしばらくその物体をながめることになった。2、3回電車をやり過ごすと踏み切りがやっと開いた。私は線路を渡って物体に近づくが、途中で再び踏切が鳴り始めた。あわてて横断しようと小走りに渡ってますます物体に近づいていくと、何とそれは真っ二つになった猫だった。

 半分ミイラ化していて、花が数本死骸の上に添えてある。誰かが轢かれた猫の死体をわざわざ運んで通路の真ん中に置いたとみられる。頭がおかしい者の犯行か。振り返ると後ろから線路を渡ろうとしている小学生の女の子。私はすばやく傘を閉じてその先端で死骸をどかして線路の脇の草むらに放り込んだ。傘の先端についた泥のような死肉の一部を、道路の表面のアスファルトでこすってけずり落とそうとしたが、うまくとれない。仕方なく中途半端に汚れがついたまま、傘をさしなおして踏み切りを渡った。
 
 仕事の帰りに、終電が終わって開いたままになっている踏み切りに戻ってきた。するとまた昼間見たあの塊のようなものが前方の視界に入ってきた。嫌な予感がした。近づいてみるとあの猫の屍骸だった。わざわざ通り道の中心に戻してある上に、また花がちりばめてある。気持ちが悪くなってこんどは遠くまで死骸を飛ばして、容易にみつからないようにした。一体誰がやっているのだろう。小中学生のいたずらか、狂った中高年か。もし三度目があったら警察に言おう。

 次の日の朝、カラスの声がうるさいので何だと、ドアを開けて家の外に出た。すると、同じ死骸が家の前にほうり投げてある。「なんだこれは・・・」誰がなんの嫌がらせでやっているのだ。動物の仕業だろうか。それにしても、見つからないように放り捨てたあの死骸を見つけ出せるのはおかしい。箒でゴミ袋に放り込んで、出勤するついでにゴミに出した。

 仕事から自宅へ帰ると今度は死骸がポストに放り込んであった。ゴミ収集車がもっていったかどうかまでは確認できなかったが、袋は外から何が入っているかわからないようにしたはずだった。
 死骸のゴミだしを監視できる場所は近所の家か、近くのマンションか。疑心暗鬼におそわれる。監視カメラを設置することにして、死骸はわざわざ家から離れたコンビニのゴミ収集箱にいれさせてもらった。コンビニまでの途中の路はあとをつけられないように用心したので、どこに捨てたかは見られていないはずだ。

 次はさすがに死体はどこにもなかった。ただ死体にかけられていた枯れた花と同じものが家の前に散らばっていた。設置した監視カメラに映っていたのは、以前家の付近で路上駐車を注意した小太りの中年の男だった。やつはどこに住んでいるのか。どこからこちらを見ているのか。警察に通報してまもなく、男は捕まった。やはりマンションに住んでいた。その後男は引っ越して、二度と同じことは起こらなかった。
 
 事件の数年後、投石で家の窓ガラスが壊された。そして外出して気がつくと、線路の真ん中に茶色い物体が落ちていた。