フレンチ・フェミニズムは生物学的性差も文化的につくられたものだと否定する。
多様性といってみたとて、前提には男女という既存の枠組みがあったりする。
そもそも性差とは何か?
男が語った女も、女が語った男も的が外れているように思える。
さらに結婚していようと異性の恋人がいようと子供をつくっていようと、互いを理解しているわけではまったくないということに驚かされる。
だが人間が他人を理解できない、自分も他人から理解されないという一般性ではない。
異性をめぐる緊張感やテンションは存在するからだ。
それを性欲一般に還元しても答えにならない。
性欲とは何かという問題にずらされるだけだ。
生殖のためだと一般化するものはいまい。
この問題は結局誰も答えていないようにみえる。
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