2014年4月30日水曜日

鉄拳のパラパラマンガの展示 池袋サンシャイン60噴水広場

鉄拳パラパラマンガの展示をやっていました。何か子供向けなのか、毒気がまったくなくなってしまっていました。展示の理由を係りのお姉さんに聞いてみればよかったのですが、時間がなかったです。次回噴水広場に行ったら、インタビュー兼ねて聞いてみたいと思います。
昼間に来たサンシャインシティアルタ
と違って、夕方五時すぎのアルタは女子で賑わっていました。噴水広場で何をやったらいいかは今度考えてみたいところです。サンシャインクリエイションなどのコミケや乙女ロードのやおい系の漫画書店や執事喫茶などの文化が花開いているようですが、それらと家族連れの多い噴水広場とは関連付けがむずかしいでしょう。

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書評:ラカン「アンコール」解説


ラカン「アンコール」解説これはジャック・ラカンの研究書としては世界一です。日本の西欧思想の輸入も一巡して成熟し、世界のトップをきるまでになりました。

フーコーは言葉を言説としてとらえ、言説を言表の集まりととらえます。言表とは何かということですが、書かれたもの(エクリチュール)のうち、 物質性をもった一定の集合です。

書かれたものの総体のうち、何らかの基準で切り取られる集合であり、この基準は恣意的です。フーコーは書かれたものの固まりの物質性を強調します。この物質性の側面が言表といっても良いでしょう。

これはラカンにおけるシニフィアン(言葉の音、文字)の恣意性に似ています。ラカンにおいてはシニフィエ(言葉の意味、対象)は問題になりません。 一方言語の恣意性を問題にした筈のソシュールはシニフィエを問題にしているのです。言語で「犬」というか「dog」というかの違いは、たまたまであるというのですが、ある対象を指していることにはソシュールは変わりません。

ラカンの場合はシニフィアンが一義であって、対象は必要ないのです。これはどういうことか。

別の側面から見てみます。言葉は現実にあるものの表現であり、 何かを指し示すものとみなされています。一方、言葉は現実と関係なくどこまでも自由に使われ得ます。

ラカンのシニフィアンとはこの後者の現実と関係ない、あるいは現実と切断された言葉というのに近いです。ただラカンの場合はフロイト経由の去勢という考え方が入っており、人間が現実に近づくことの断念がゆえの言葉、というのに近いです。

そしてこの言葉、シニフィアンは当然音や文字の物質性の側面、それ自体として、他と切り離された境界があり、 その「もの」としてあることの固有性、独自性が問題となります。

言葉の自由な使用という場合、通常この物質性は問題になりません。それも言葉が指し示している対象の物質性ではなく、言葉自体の「もの」としてのあり方です。

ラカンには「役に立つ言葉の使用」という側面がまったくありません。役に立つには現実との対応が必要ですが、ラカンの場合現実との接触の断念から言葉が生まれているので、言葉はそれを使った人間を、はじめの意図を越えてどこかに連れ去ってしまうのです。

ラカンにおいて人間は欲望を持つ存在であり、現実との接触不可能性により、それが満たされないゆえに言葉を紡ぎ続けるのです。そしてそのような公式から、「性関係は存在しない」というラカンの有名なテーゼが出てくるのです。

シニフィアンは欲望の対象でありながら、その断念のあらわれでもあるのです。









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「池袋大改造」プロジェクト始動 特区外れショック…新宿・渋谷に対抗

http://newsbiz.yahoo.co.jp/detail?a=20140429-00000000-biz_fsi-nb

 「旧・巣鴨刑務所跡地




を再開発して1978年に開業した池袋サンシャインシティ



以降、大規模な再開発事業がほとんど実現していない。」

 「池袋が、アニメやコスプレ好きの女子たちが多く集まる“聖地”として注目されるようになったのは数年前から。」

 「こうした状況を見て公園に隣接して立体駐車場を経営していた栄真が若者をターゲットにした商業施設「池袋WACCA」の建設に着手。今秋に完成する。」

 とありますが、池袋駅東口は
 「東京オリンピック前の2018年度までに整備」、
 西口は 「難航する西口地区のまちづくりに昨年暮れ、三菱地所が名乗りを上げた。『まちづくり協力者という立場で、手弁当で相談に対応しているという段階』(三菱地所広報)というが、『合意を得られている地権者は6~7割。何とか8割以上に高めて再開発準備組合設立までこぎつけてほしい』と豊島区担当者は期待する。 」


 私は西口には将軍御成道というのが現在のロサ会館あたりにあったというのが気になってます。江戸地図にあるのですが、将軍吉宗が大根畑をわざと馬でジグザグに突っ切って畑を荒らし、貧しい百姓に大根代といって金をたくさん渡し、吉宗の徳を称えてそのジグザグの馬の足跡を将軍御成道といって残したものですが、現在跡形もありません。なんとか再現できないものか、どの地点だったのか検証できないかと思っているのです。

 池袋村はもともと何もないようなところでした。鎮守の氷川神社



は離れたところにあり、新川越街道の高速道路によって分断されてしまっているので、池袋駅西口のこちらがわでは末社の御嶽神社が逆にメインになりました。

 もともと隣接する雑司が谷村



鬼子母神が栄えていたのです。今でも鬼子母神の大祭は盛況です。雑司が谷霊園



には夏目漱石の墓


もあり、どちらかというと古くからの文化的土壌は雑司が谷のほうにあるといえるでしょう。

 また、同じ豊島区では巣鴨や大塚(昔はここが巣鴨でした)の方が栄えていました。江戸名所図会には巣鴨(現大塚)十羅刹社



というのが出てきます。神仏分離令で廃止され、文京区側の地名である大塚が巣鴨の地にもたらされました。このように豊島区として考えるなら池袋だけの点の視線では足りないと思いますが、近隣自治体との関係や予算の配分の問題もあるような気もします。

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三点着地はアニメ発か

私にはジャパニーズスパイダーマンのポーズにしか見えません。「三点着地オリジネーター、スパイダーマン!」ヒーローはマスクを脱ぐときがあっても存在し続け、ゆるキャラも神仏も存在し続けます。共存共栄が必要なのではないでしょうか。ゾーニングして切り取ってしまっては、バラバラになって新宿や渋谷にまけることになります。そもそも新宿、渋谷は区の名前ですが、池袋は豊島区です。そういった単位の争いなのかどうかも確かめてみる必要があるでしょう。

[山本哲士のパブリックブログ講義]


[山本哲士のパブリックブログ講義]新著、『<もの>の日本的心性』を脱稿

 「「述語表出」の基盤閾があるということ、その「穴」の対象化である。 わたしたち日本人は、この「穴」を感知し、無自覚だとこの穴に埋没する。無自覚な埋没は、ウルトラ・ナショナリズムになる。自覚してとりくんでいくと、文化技術表出が可能になる。」

 「<もの>が消えていく、消されていくのが、近世の言説であることがわかった、」

 「この顛倒は、書紀世界へ古事記を従属させて、古事記をひろいあげるという、詐取技術であるのだが、それが、いまの日本人の幻想技術に暗黙に布置されている。それが、もっとも本質的な、日本停滞の根拠である。」

 「すべて、そこの壁に、実際が直面する。 <神―タマ>の幻想技術において、日本人は転倒しきってしまった、それが消費生活の多数をしめる現代神話になっている。」

 日本文化を実体的にあつかうと主義にしかなりませんが、この述語的な「穴」としてとらえると、そのように伝えられるものではなくなります。

 「神からの語りとは、<もの>からの純粋疎外が、自らへとどくということだ、これを近代は自己の意志としたにすぎない、同じことなのだが、述語制からみると作用は逆ベクトルになる、ここを共同幻想疎外すると、信仰、宗教となっていく、わたしはそれを述語的自己へとどめ、神=タマを古事記的に環境布置する。」

 失われた国津神を取り戻すということですが、私は豊島の民話とか板橋の伝説とかで探っていますがなかなかはっきりしたものが見えません。

 古事記となると古代ですがそれに相当する神話となると、ひっかかるものはわずかになります。

  ここでいわれていることは環境から学べるように配置してしまえということですが、それは遺伝子や個々の身体に内在化して文化が所有されるのではなく、場所に文化が配置されていて人間がそれを引き出すということですが、その前に場所のシンボルがみつからないといけません。

2014年4月29日火曜日

病院


これは基本的には西欧近代医学、要するに「医学」と「生物学」(現在は分子生物学が覇権)の枠です。その外部を「混合医療」とかいってますが、経済学と同じで究極には「支配の学」(吉本隆明)です。これは教育学や心理学、社会学などの派生するイデオロギー=学問(フーコー)もおなじです。

学校


人類が平等に学校に行けば何とかなると期待した近代の理想そのものです。結果はどうか。難しいところです。私は役割を終えたと思っています。別の場所がないだけです。

2014年4月28日月曜日

山中教授、14年前の論文にネットで疑義 一部データ散逸で陳謝

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140428-00000540-san-sctch前からいっているがこうした揚げ足取りを続ければ際限なく拡大する。私たちにとってips細胞が医療にどのように応用されるかしか意味がない問題である。自分の足元に火がつかない限りで報道機関も教育機関も石を投げつけている。野次馬にまでは今のところ波及しない。

山中教授、切り貼り否定=14年前発表の論文画像―京大

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140428-00000095-jij-sociこのように、「ips細胞があるかないか」「STAP細胞があるかないか」の核になる問題抜きに、際限ない揚げ足取りがはじまります。科学者共同体に本当に合意があるのか、あるいは科学者共同体の常識というものはあるのか、という問題はポランニーが取り上げていますが、既にあると認められているips細胞をめぐってさえこうし揚げ足取りによる混乱が引き起こされるのは、科学および科学的知識に対するナイーブさでしょう。

2014年4月27日日曜日

三島由紀夫最後の晩餐

三島由紀夫最後の晩餐

米をとぐのはキリがない

米をといでいて思い出したのは、水槽の砂、あるいは砂利の洗いです。いつまでやってもキリがない。必ず水がにごる。だからキリのいいところであきらめるのです。

人間失格1200万部

太宰治の小説では、人間失格は一番面白い本ではありません。国語の先生から、じゃあ「走れメロス」なのか、と嫌味をいわれましたが、「善蔵を思う」ではないでしょうか。個人的には火の鳥と思いますが、これは漱石の明暗が一番いいというのと同じでマニアでしかない。

日本語と関係ないから受けるクールジャパン

言語以外はパターン化するから世界に受け入れられるといったのは柄谷行人でした。要するに相手がいかようにも受け取れるから拡散するということです。文化は言葉だ、とすると日本語でしか出来ない表現があるのか、それがアニメやマンガに影響しているのか、または日本語と関係なく日本文化はあるのか。そもそも日本語とは何なのか、言語とは何なのか。

コミックいわて


ニコニコ超会議で県知事が「コンテンツ県いわて」と言い、コミックいわてを宣伝していた。東京以外は聖地化しか、観光しかないのだろう。

 それには歴史から学ばなければならないとおもうが、そう簡単ではないことは被災地から学んだ。アニメと漫画が流通ツールとして波及効果があるというが、ここで文学との発行部数の比較。

ONEPIECE3億4500万、人間失格1200万、これではお話になりません。鳥取県知事は大国主命の格好で出てきましたが、出雲神話とアニメなどの連携は見えませんでした(文学も同じですが)。

ゆるキャラもそうですが、いずれ審神(さにわ)が必要になるでしょう。駅長(岩手)着物(高知)古代人(鳥取)という知事のコスプレでした。

都市伝説は本当だった、ニューメキシコ州「Atariの墓」から最悪のクソゲー『E.T.』が発掘される


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140427-00000003-isd-game不法投棄ではないのかが気になりますが、「」といえば 人間、人間が弔った動物。モノの墓を伝説として歴史化するという権威付けは、ブランディングの一種として学ぶべきものなのか、聖地となるものなのか。
 などと考えて整理していたら箱から「玩具の墓場」が出てきた。


もう記憶に無い子供のころに投入した情熱がよみがえってきた。一体なぜあんなに熱中したのか。その投入した情熱は全て無駄になり、まったくの無意味と化したのか。


土葬の先祖の墓を移転のため掘り起こして、先祖の遺骸と対面するという話があるが、これは思い出の墓場ともいうもの。

人は自分の子供心を踏みにじり、他人の子供心を踏みにじってしか生きていけない。

豊島区の伝説Ⅳ吉多明神(たぬき神社)


吉多明神雑司が谷鬼子母神に祀られていた鷺神明の近くに狸のたたりを恐れて作られ、大繁盛したため、寺社奉行によって取り壊されたと記録にある。現鬼子母神西参道あたりといい、狸汁を食ってたたられた魚屋の栄吉の名と狸の「た」をとって吉多明神と名がついた。鬼子母神が神仏分離令によって危機に陥ったように、江戸幕府にとっても民間信仰は危険だったのであろう。

構造主義は成長の否定なのか

構造主義は近代社会の進歩、発展を否定し、ある一時期の幻想としました。それでは実存に回帰したポスト構造主義が成長への回帰なのかということですが、吉本隆明は技術の進歩は後戻りできないといいました。そしてそれは政治や倫理の介入を突き破るものとして技術をとらえました。ニコニコ超会議でロボットとの結婚という話がありましたが、その場合サイボーグ化していると思うので機械と生物の区別がなくなっているでしょう。技術で変えられる、対応できるものは徹底的に技術に還元するというのが吉本の立場ですが、そこに最終的に技術に還元できない領域というものを吉本は自己表出という言い方でとらえました。言葉の現実と対応しない領域です。詩や文学は常に現実を超える、ともいえますが、晩年の吉本はこれを「はらわた」と対応させて語りました。これはこれで「食える」=はらわた、ということと「食うだけじゃない」=修飾、ということが絡み合った複雑な問題です。

雑司ヶ谷鬼子母神

池袋村は昔何もありませんでした。中心の氷川神社は今の駅から遠く離れたところにあります。雑司が谷村の方が鬼子母神によって栄えていました。昔の祭りの大きさは今もおもかげがありますが、江戸時代に杉並の祖師神社に客を奪われたといいます。鬼子母神は仏教の法華経の守護神のため、明治の神仏分離令で存亡の危機に会い、神社を分離して生き延びました。同じ法華経の守護神の十羅刹社の多くは、廃棄されてしまいました。

雑司が谷霊園

夏目漱石の墓雑司が谷霊園にあります。漱石の小説には住居があった谷中霊園の近辺が出てくるのですが、自身の墓は雑司が谷です。ずいぶん立派な墓ですが、作られたのは昭和で、明治最後に死んだ漱石の墓はもとは質素だったといいます。私の昔の印象は木々や雑草が生い茂ったうっそうとした森でしたが、今は青山墓地のように整備されてきれいになっていると思いました。

ホームレスの結婚式

ニコニコ超会議で堀江貴文氏が「ホームレスでクラウドファンディング結婚式を花やしきで挙げた者がいる」というので調べるとホームレス芸人として日常をSNSで実況するという特殊なケースのようでした。携帯の料金はどうしているのかと思いましたが、なんとなく納得はいきました。

猫が家につくというのはウソ

野良猫を見ているとわかるが、彼らは突然どこからともなくやってきて、子供を生むとあちこち住家を変えて、最後にはどこかへ立ち去ってしまう。ライオンのような生態で、狩猟の変わりに人間のえさを当てにして散らばっていくのだ。

アニメ制作社員の自殺 クールジャパン支える「月600時間労働」の衝撃

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140425-00000562-san-soci「過酷なのはアニメ業界だけではない」、「ゲームや漫画、スマートフォンなどのプログラム制作」「クールジャパン」、「日本のポップカルチャーの未来に対する懸念」とありますが、日本が世界に誇る日本文化とはアニメ、ゲーム、漫画、スマートフォンなどのプログラム制作が代表なのでしょうか。だとすればここに公共投資して基盤整備すればよくなるのでしょうか。個々の業界みな違い、個々人が入った事情も様々なものを全部ひとくくりにしてバブルだのブラックだのまとめたからといって、しょせん他人の不幸をよろこぶネット文脈にそった憂さ晴らしでしかありません。政治ネタにしてもそうしたガス抜きの現実逃避になっているものが増えました。

2014年4月26日土曜日

大型連休初日で「富岡製糸場」に大勢の観光客!


http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20140426-00000027-ann-soci世界遺産認定が私鉄に及ぼす効果を挙げるブログや、富岡製糸場の保存展示や世界遺産登録運動に関わっている人達に「富岡製糸場に女工哀史は無かった」という人がいるということを問題にしているブログもあります。

理研苦境、不信の連鎖 調査委員長辞任、関係者「非常にショック」


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140426-00000083-san-soci「理研の信用はどこまで失墜するのか。日本を代表する研究機関は苦境に追い込まれた。」とありますが、はじめに祭り上げて落とした報道機関の責任は、などとも言える論法です。ことの中心はSTAPがあるかないかだけで、それ以外の不必要なノイズは意味がありません。

<テレビ朝日>1億円余の所得隠し

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140425-00000109-mai-soci大会社の所得隠しにしては額が小さいと思ったら、「元テレビ朝日社員による番組制作費の私的流用が発覚した。この流用が所得隠しとされ、重加算税の対象になった。」とあります。この事件はテレ朝のHPに「1.不正行為の概要 平成25年8月、定例の税務調査の中で45歳男性元社員の番組制作費に関する取引について照会がありました。これを受けて、外部の専門家のアドバイスを受けながら社内調査を行いました。この結果、平成15年11月から平成25年3月にわたり、元社員が外部の制作協力会社3社に実態のない業務の代金や実態より高額の代金を請求させた上で、この資金を私的に流用し、国内外の旅行、高額な服飾品の購入等に充てていたことが判明し、私的流用額は約1億4,100万円であることが明らかになりました。」とあります(資料)。これはテレ朝は被害者であって所得隠しという加害者ではないように思いますが、監督責任ということでしょう。

<富岡製糸場>「パーフェクトに近い」世界遺産勧告…文化庁

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140426-00000004-mai-soci富岡製糸場HPによると、「繰糸場内は昭和62年の操業停止時(そうぎょうていしじ)の状態で保存」とあります。学校の教科書でみた以来の名前で、現在どうなってるのかと思いましたが、こうした歴史的記念物を維持するには世界遺産登録でもしないと難しいのかもしれず、登録しても難しいと思います。放っておけば消えてしまう歴史的記念物は数え切れないほどあり、観光資源やその他遺産として活用すれば長期的にはメリットは大きいとはいうものの、短期的に収益がなければ維持はできないのも事実。銭湯などにも同じ問題があり、急ごしらえでイベントを作ったりする例もありますが、何を軸にして残していくかはとても難しく思います、

東京の銭湯「半減」の危機…廃業検討45%

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140424-00050143-yom-soci観光客に人気とありますが、大半は地元の老人が使っていると言う印象です。使う側としては客が少ないほうが広く使えてよいが、地元以外は車で行き来するしかないから駐車場がないと難しい。東京浴場組合銭湯お遍路というものをやってますが、知っている限りでも多くの銭湯が消えました。掃除に体力を使うといいます。銭湯でのイベントに参加したり、何か使えないか考えたりもしましたが、観光客相手の特別な一部の場所を除いて新たな展開はわかりません。この読売の記事の蛇骨湯も浅草だからではないでしょうか。蛇骨の由来は竜の骨が出たという説があり、どこかの寺にでも眠っていないかなどと考えてしまいます。銭湯お遍路で私の名前は771番にありますが、他人の車でです。タカラ湯

2014年4月25日金曜日

STAP理研調査委員長が辞任 自身の論文で画像加工


STAP理研調査委員長が辞任 自身の論文で画像加工ことの本質、STAP細胞があるかないか、をそらして、炎上すればするほどこうしたどうでもいい揚げ足取りが、飽きるまで際限なく繰り返される。しかしメディア関係にとってははっきりしないまま燃料を投下し続けられればそれに越したことはない。


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吉本隆明主義者の反知性主義


吉本隆明全集が出ます。吉本隆明全集、数奇な刊行 38巻、7年で完結の「常識外れ」:朝日新聞デジタル
問題は吉本を読まないことよりも、吉本しか読まない人間の反知性主義にあります。こうした人々はパワハラで目下に無理やり吉本の本を読ませたり、吉本の独自用語を使って説教したりして、結果的に吉本の読者を減らし、吉本が批判したマルクス主義者ならぬ吉本主義者となって、同じ悪行を重ねていくのです。

こうした意味では、吉本を読まない吉本批判は、吉本しか読まない人間よりましで、マルクスを読まないマルクス批判と同じくらいの意味はあると言えるでしょう。

 長期的にはこうした人々が消えてはじめて、吉本がそれとして読まれるようになると言えます。吉本が使ったマルクス主義批判の言葉を使えば、吉本主義スターリニスト、とでも言えるような人たちです。

2014年4月24日木曜日

役に立つか立たないか

言葉の選び方を、役に立つかどうかで人は決める。しかし、言葉はそもそも模造であり、現実から離れてどっかへ行ってしまう。ゆえに言葉が言葉であり、自由が言葉である。

言葉はそもそもコピぺ

言葉は他者からやってくる。自分で作ったものではない。どこで創造性、著作権を認めるかというのは、権威による。ほとんどの人間が自分が語った言葉にとらわれて、現実と錯覚する。そして戻ってこない。

消えた人文社会科学(思考実験Ⅰ)


STAP細胞事件は人文社会科学が己の無根拠に耐えられず示威的行動をとったリンチ事件だった。この恐竜の断末魔はともかく、大学という制度利権の囲い込みが生き延びる方法は、実学という専門学校化、資格利権と就職利権の確保だ。教養が必要だという人はそういう共同幻想をもつ集団の利権に囲いこまれている人であり、資格手形の発行が最後の大学の存続理由だ。(仮説実験Ⅰ)

2014年4月23日水曜日

人文社会科学は本当に科学なのか


「人文社会科学は自然科学の模倣をして失敗した擬似科学ではないか」という疑問を立ててみます。 その場合、そういった無駄抜きに教育を進めたほうが、効率がよいのではないか、不良資産なのではないか、という問いです。 問題はそのようなバベルの塔が崩れたあとに何があるのか、というところにある。

谷中霊園での花見禁止

今年赴任した女性の管理者の命令という。墓の前にシートをひいてたくさんの人が花見をして、はるか昔から続いていて、有名人の集まりもあった。http://youtu.be/vmOxewK1hfs

性欲と食欲

をやっとこさかき立てて、かろうじて二本足で直立して立っているのが人間だ。ただ食えればいい、というのではなく、より美味しいとか、身体によい、とか、おしゃれだとか。そして性欲も修飾して味付けしないと興奮せず、性欲を維持していないと働く気も起きない。そして疲れると動物に逃げる。内心、人間のほうが優位だと優越感に浸るのだ。現実逃避の場所として、アニメやマンガ、カワイイがある。これでこの先やっていけるのか。(電車の中で立ちくらみしながらの感想)

ネット文脈と集合無意識


芸能人の不幸とかのネット文脈をみると、しきりに何かから逃げたい、忘れたい、関係ないことを考えたいという、大衆のあせりのようなものが感じられる。これは何なのかというと、「なぜ生きているのか」「なぜ欲望を駆り立ててまで自分を奮い立たせようとするのか」などという、漠然とした、あいまいで答えがない、宗教にいってしまうような問いではなく、これまたネット文脈にあわせたお題で答えなければならないのではないかという変なあせりにとらわれる。哲学だの宗教だのといったお説教ではこのあいまいさはとらえられないからだ。

不寝見(ねずみ)塚


不寝見(ねずみ)塚とは現在の池袋と目白のあいだ、上がり屋敷(将軍の鷹狩りの休憩所)公園の前のマンションあたり、旧長崎、池袋、雑司が谷3村の境に、義経を討った源氏の一行が奥州から鎌倉への帰路、見張りを置いたところでした。江戸時代にたたりのある白狐の塚とされ、狐塚という地名が明治の市町村制の移行までありました。(豊島の民話) http://youtu.be/TSxlEBhuTGY

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悪夢を見るとき


筋肉マンのハーフに暴行されるという夢を見た。その男は車に轢かれて誰も助けないというオチで終わったが、 こんな気味の悪い夢を見る理由を考える。人は自分の書いた言葉に引きずられてしまうから、何かまずいことを書いたかと思った。 理系は経済的利権がすぐ絡んでくるが、人文社会系は政治的利権から離れられないということを書いた。無自覚に正義の主張をするのがおかしかったからだが、必死な人をからかっちゃいけないと反省した。 後になれば誰も省みない夢のあと。砂漠の蜃気楼の論議だ。

STAP細胞と盗用


すべての論文は原理的に他人の盗用であるということは可能です。 この場合、ある論文が盗用であるかどうかは政治的に決まります。

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2014年4月22日火曜日

STAP細胞とバイオ利権

「いのち」とは何か、と関係なく、STAP細胞事件はバイオ産業をめぐる争いだと思います。

それに若い女性が、とか、犯人探しの「いけにえ」が視聴率やアクセスを稼ぐので、かぶさってきますが、興味深いのは理系でなく人文社会系の学者の反応です。

理系でもディシプリンや教育の違いが際立っているのですが、人文社会系は対立する意見が永遠に交わらないのに己の受けてきたディシプリン、教育がすべてであるかのように絶叫する人がいるのはなぜでしょうか。

そもそも彼らにSTAP細胞が存在するか否かを判断することができるのでしょうか?

学者や学校教師界隈がヒステリーを起こすのは、己の立脚する存立基盤が危ういと無意識に感じているからなのでしょうか?

何か東大系が早稲田を批判するとか余計な利権争いがかぶさってくるほど大学には意味がなくなっているのでしょうか?

カントの「諸学部の争い」ではありませんが、学者の予算獲得競争が真理の皮をかぶって繰り広げられています。



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STAP細胞とポストモダン

STAP細胞事件について哲学者の東浩紀氏がツィッター上で次のように述べています。

東浩紀 hiroki azuma@hazuma

ところで、ぼくは、小保方氏の指導教官だった大和雅之氏がかつて『現代思想』に原稿を寄せたことがあり、栗本慎一郎と共著まであるということにかなり驚いています。しかもテーマはポランニー。STAP細胞のアイデアとポストモダン思想は意外とまじで繋がっていたかもしれません。
https://twitter.com/hazuma/status/444820568202686465


しかし、そんな奇跡を夢見てしまった研究者の心理には(研究倫理上の責任とはまったく別の次元で)関心がある。栗本慎一郎の弟子だったという大和雅之氏には、彼が「生命」をどう捉えていたのか、そしてそれが今回の錯誤とどう繋がったのか、いつかお話を窺ってみたい。難しいだろうけど。
https://twitter.com/hazuma/status/446119916823793664


東氏が言及している大和雅之氏とは
この騒動の端緒にあらわれて姿を消してしまった人です。

MSN産経ニュース【新型の万能細胞「STAP」】
東京女子医大・大和雅之教授「10年以内に臨床研究」、慶応大・岡野栄之教授「慎重な検証が必要だ」2014.2.10 14:16
http://sankei.jp.msn.com/science/news/140210/scn14021014270002-n1.htm

「刺激で万能細胞が作れるというアイデアは、ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授と私が2010年にそれぞれ独立に思いついたことだが、小保方さんのように一生懸命やる人がチームに加わらなかったら、今回の発見は数年単位で遅れていたと思う」

ここで彼ははっきりと、STAP細胞は自分とバカンティ教授のアイデアで、実験したのが小保方氏だと述べていることになっています。

彼はどういう人なのでしょうか。ここに去年の年末のラジオでの栗本慎一郎との対談があります。
(栗本さんは脳梗塞の後遺症で滑舌が良くありません)

再生医療とは
http://www.dailymotion.com/video/x17kov4_20131124

人間とは
http://www.dailymotion.com/video/x17v0d5_20131201


話を聞くと、再生医療分野において細胞シートなるものを実用化したり、普通のまじめな研究者です。

彼が学生時代から研究者に至るまでに書いた文章のなかには次の3つがあります。

現代思想誌における、進化論の遺伝子中心主義批判(ウイルス特集)/人工知能と暗黙知(人工知能特集)/科学哲学者マイケル・ポランニー紹介です。

そして、遺伝子中心主義批判と暗黙知のもとはマイケル・ポランニーの主張です。

マイケル・ポランニーはノーベル賞級の物理化学者で晩年にシカゴ大学で科学哲学を教えた。息子のジョン・チャールズ・ポランニーが父の研究の延長でノーベル賞を受賞。

アインシュタインやコンピューターの創設者の一人アラン・チューリング、経済学者のハイエクと交流。個人的知識という主著があり、暗黙知の次元という本が有名。

遺伝子中心主義批判の内実ですが、ざっくりいうと大和さんは現代思想のウイルス特集で、ヒエラルヒー(ピラミッド)/リゾーム(ネットワーク)の対立の前者を遺伝子中心主義にあてはめています。

遺伝子中心主義がモダンでその脱構築である環境中心主義がポストモダンだということです。

これをさらに単純化すると、サラリーマン/フリーランス(起業家)の対立を当てはめることもできます。

遺伝子操作抜きに環境の刺激で細胞が初期化するというアイデアは、こういう思想が背景にあったといえます。



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