2014年4月30日水曜日

[山本哲士のパブリックブログ講義]


[山本哲士のパブリックブログ講義]新著、『<もの>の日本的心性』を脱稿

 「「述語表出」の基盤閾があるということ、その「穴」の対象化である。 わたしたち日本人は、この「穴」を感知し、無自覚だとこの穴に埋没する。無自覚な埋没は、ウルトラ・ナショナリズムになる。自覚してとりくんでいくと、文化技術表出が可能になる。」

 「<もの>が消えていく、消されていくのが、近世の言説であることがわかった、」

 「この顛倒は、書紀世界へ古事記を従属させて、古事記をひろいあげるという、詐取技術であるのだが、それが、いまの日本人の幻想技術に暗黙に布置されている。それが、もっとも本質的な、日本停滞の根拠である。」

 「すべて、そこの壁に、実際が直面する。 <神―タマ>の幻想技術において、日本人は転倒しきってしまった、それが消費生活の多数をしめる現代神話になっている。」

 日本文化を実体的にあつかうと主義にしかなりませんが、この述語的な「穴」としてとらえると、そのように伝えられるものではなくなります。

 「神からの語りとは、<もの>からの純粋疎外が、自らへとどくということだ、これを近代は自己の意志としたにすぎない、同じことなのだが、述語制からみると作用は逆ベクトルになる、ここを共同幻想疎外すると、信仰、宗教となっていく、わたしはそれを述語的自己へとどめ、神=タマを古事記的に環境布置する。」

 失われた国津神を取り戻すということですが、私は豊島の民話とか板橋の伝説とかで探っていますがなかなかはっきりしたものが見えません。

 古事記となると古代ですがそれに相当する神話となると、ひっかかるものはわずかになります。

  ここでいわれていることは環境から学べるように配置してしまえということですが、それは遺伝子や個々の身体に内在化して文化が所有されるのではなく、場所に文化が配置されていて人間がそれを引き出すということですが、その前に場所のシンボルがみつからないといけません。

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