2014年4月27日日曜日

構造主義は成長の否定なのか

構造主義は近代社会の進歩、発展を否定し、ある一時期の幻想としました。それでは実存に回帰したポスト構造主義が成長への回帰なのかということですが、吉本隆明は技術の進歩は後戻りできないといいました。そしてそれは政治や倫理の介入を突き破るものとして技術をとらえました。ニコニコ超会議でロボットとの結婚という話がありましたが、その場合サイボーグ化していると思うので機械と生物の区別がなくなっているでしょう。技術で変えられる、対応できるものは徹底的に技術に還元するというのが吉本の立場ですが、そこに最終的に技術に還元できない領域というものを吉本は自己表出という言い方でとらえました。言葉の現実と対応しない領域です。詩や文学は常に現実を超える、ともいえますが、晩年の吉本はこれを「はらわた」と対応させて語りました。これはこれで「食える」=はらわた、ということと「食うだけじゃない」=修飾、ということが絡み合った複雑な問題です。

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