2014年5月5日月曜日

[ポエム化する日本企業]急増中【3】

【会社に氾濫する恥ずかしい儀式】自作のポエムを発表、お客さまは太鼓を叩いてお出迎えetc.


http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140428-00617284-sspa-soci




「毎朝、日替わりで代表者が『最近、家庭で起きた面白いこと』を3アクションで表現しなければならない」


「『愛があれば何でもできる』というスローガンがあり、朝礼時に向かいの人とハグをして『いつもありがとう』と叫ぶ。いつもやってると、もう慣れた」


「毎年社長のお墓参りがある」


「会社に入るときには入り口にある社章に一礼してから」


「ウチの会社では『社長に絶対服従』という社訓が壁に貼ってある」


会社の中で勝手に作られたルールをポエム化といっているのですが、これをポエムという感覚はよくわかりません。詩の反対のものを指してポエムといってしまっているからです。これは「ポエムなんだからしょうがない」という無抵抗の感覚が先に来ているからなのかも知れません。


「事務所に入るときに、『失礼します』ではなく、『ありがとうございます』と言わされる」


「お客さまが来社すると、太鼓を叩いて全員で出迎える」


以前「押忍(オス)!」とあいさつさせられた経験がありますが、ラジオ体操と一緒で儀式として共有する意味があるとしか思えませんでした。ポエムではなくて、儀式でしょう。


「毎週ポエムを作成して発表。月曜日がとにかく憂鬱でならない」


「新入社員研修時は、駅前で歌を歌わせられた。でも、あまりの事態に警察が来て一騒動になり、翌年から山中の寺で歌うことになった」

 「ボーナスが出たら、会社への感謝の気持ちや使い道を書いて提出が義務づけられる」


「テレアポの際に使用する定規に『辛いは幸せになる途中』というポエムが書かれている」


最後のものは標語とか訓示、あるいは命令の類でポエムじゃないでしょう。


思潮社という詩の出版社があって、自費出版ですが、そうして出した本を前提にして中原中也賞などの賞が与えられたりしますが、売れない、もうすでに売るための本ではなく、谷川俊太郎とか一部の作者しか収入は詩では得られないでしょう。


そうした詩の状況と、ブラックな企業ルールをごっちゃにして叩いているようにもみえて、詩の抹殺に一役買っているようで恐ろしい気もします。結局こうやって強制をポエムといってごまかすことで自分で自分のくびをしめているのではないでしょうか。


会社からハラスメントを受けて、そのうさをより脆弱な詩の世界を悪者にすることによってはらしているのではないか、そうした薄ら寒さを覚えました。


そして詩のない世界は息抜きの表現もゆるされないおそろしい状況にいたることを、不合理なルールをポエム化といってごまかすことによって是認しているようにも思えます。



いわゆる現代詩は絶滅するのかも知れませんが、コピーは詩ではない、と思っている方がこの記事を書いていることは間違いないようです。

何を残すべきなのかは、全てなくなってみないとわからないのかも知れない。

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