スーパーに米を買いに行ったら「母の日」と書いたPOPがあり、ワインやお菓子が安く売ってました。
混んでいてさっさと抜け出したかったのと、高級食材を知っている私としてはスーパーで売っているものは皆おなじに見えるので、安くとにかく食えればいいというものをあれこれ吟味して買うのは馬鹿らしく、お菓子など刺激物で腹を濁すのも騙されているような気がして嫌だったからです。
母の日というのも消費させる言い訳で、バレンタインやホワイトデーの類、クリスマスも誕生日も小学生以来祝っていない私は、興味がない。
かといってその場で若いカップルがあれこれ食品を吟味してましたが、それしか語ることがないのも事実。
スーパーの業態はそのままにしたとして、もっと集う人々が満足して通うことのできる場所の演出はできないものか。
吉本ばななの父親の吉本隆明は病弱な奥さんに代わって自分が買い物に行く機会が多かったせいか、景気対策として「スーパーやコンビニ、百貨店の流通産業に公共投資して買い物客が喜んでいける場所にしろ」と言っていたのを思い出しました。
10キロの米を袋に詰めるのにもごもごして手惑い、通りの邪魔になって客のおばさんに舌打ちされるような状況から脱出しないとまずいだろうと思いました。
生活必需品の供給の役割を担うことから、改善せずとも人は来ますが、来た人がごったがえして乱雑になる。一方人がいないときはガラガラ。機能だけを重視した導線や展示を見直すべきではないでしょうか。法律の問題でもあるのでしょうか。
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