朝早く着き、私が回ったのはここでも神社でした。
ひっそりとした駅近くの北野天神
津波時の避難所になった、湾を見渡せる五十鈴神社
眺望からは光り輝く湾であるという気仙沼のアイヌ語の語源がしのばれる。
乗り上げた漁船や破壊された家屋などの写真もありながら千年単位で残るものに関心があった。
この神社も川沿いでありながら高いところにあるので残ったようだ。右側の家屋はやられたあとが残っている。
この神社は湾からまっすぐ高台に至った道にあり、地図からすると五十鈴神社と同じような中心と思われたが、そうではなかった。
階段を登るとすぐこのような家になっており、ほとんど祭礼を行うスペースがなかった。
振り返ると全体が見渡せる高台にあるにもかかわらず、気仙沼の若い子も知らなかった。
この神社も地図にはっきりあるにもかかわらずトタンの倉庫のような家屋にはさまれていた。
この船もいまはもうない。記念にという声もあったが、撤去された。
前もって気仙沼市史を読んでいたイメージは竜だった。それは間違っていなかったが、リアス式海岸ということは東京もそうであったことを、被災地支援ファンドの丸ビルでの会合で気仙沼の業者と話したとき思い出した。(続)
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