「オランダには、大学入試がありません。そのため、塾も受験産業もほとんど見かけません。高等教育機関の卒業試験をクリアすることで大学入学資格を得ることができます。日本の教育と比べると、あまりの違いに愕然(がくぜん)とします。そうした教育システムの源流を探ると、ある理念に行き当たります。それは、「教育の自由」というものです。」保坂展人 オランダ報告(2)「受験なき教育」 3学年が一緒に学ぶ
三流大学なら行かないほうがまし、と慶応出身のある教授は言ってましたが、慶応には明らかに裏口入学がある、とも言ってました。
ある芸術家(本人は非大卒)が、芸大(東京芸大)と他の美大の連中はやっぱり違う、と言っておりました。
知ってる限りで早稲田の学生はみないいところへ就職しましたし、東大の院生は東大はどんなことやってもつぶれない、とつぶやいていた。
その大学毎の文化資本があり、環境の差異がある。
同じ大学でも学部が都心以外にあると田舎臭くなる。
また国立と私立は違う。
大卒と高卒は違うし、専門学校卒も違う。
時々小学校も行ってない子がいる。
さて、18歳以上の労働人口の再配分機能を持つ大学受験は、一流大学とその他の差異をも生む。
では、どうするか。
三流大学があるのは、一流大学があるからなのです。(受験制度の必然という意味)
結論は学校をなくしてしまえ、です。19世紀的工場の展開である学校システムは、自己目的化した試験制度とカリキュラムをそなえ、もはや旧弊な象牙の塔でしかありません。
情報化社会の学習システムは、違うあり方が求められています。
国語算数理科社会、などの分類や、6,3,3,4制などは、何の意味があるのでしょうか。その制度の下で利益を得たもの、得るものが誘導して維持しているシステムでしかありません。
すべて考え直すことができ、考え直すことができるものです。教育という概念が終焉し、学習にとってかわるのです。
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