池田さんから学んだことは、ブログはひとつの世界を作る、ということです。情報をAからBへと伝達すること自体が収益になっているということをネットの世界で知りましたが、本来それは価値ではない。
意見と事実を日本人は峻別できないとよくいいますが、もちろんこれは意見です。
じぶんの世界を言葉で作りえないで、あの人がこういったとか、誰がこうしたということをいっているようでは進歩は望めません。
物書きといっても、情報伝達屋(僕はこの仕事をしていましたが)と創作は違います。
じゃあどうすれば良いのか?まず自分がなぜ、その書いた対象に興味を持ったかを書くこと。
つまりその人がいないと物語りははじまらない。
そして、その物語がどれだけ普遍性、あるいは個性があるか。これは自分を語りだすしかなく、個性はその深度によるのでしょう。
あと本を読む必要があるかどうかですが、今述べたように本に毒される人がいるので僕はすすめません。
でも選べというならば、漱石「吾輩は猫である」と、黒崎宏「ウィトゲンシュタイン「哲学探究」読解」です。
太宰は評価が定まってませんし、漱石のこの処女作にはありとあらゆるアイデアが詰まっています。
ウィトゲンシュタインは知識や言葉の放棄の書です。その放り投げ方が爽快なので読まれています。人はすぐに言葉に騙されるので、徹底的に投げ捨てるウィトゲンシュタインの洗礼が必要なのです。
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