2014年5月22日木曜日

神社は町おこしの中心

経済人類学では非市場社会においては宗教的儀礼と経済的活動の区別がなく、支払いとは祓い清めることであり、貨幣は宗教的呪物としてもっとも価値を持つものであり、社会を統合するものでした。

そして「社会」の定義としては、
  1. 同じ貨幣を持ち

  2. 同じ祭りを行い

  3. 同じ刑罰、タブーを持つもの、
と定義されました。

祭りは共同体の成員に対する財の再配分の機会であり、「市」はその機会に立てられました。

日本民俗学の創始者の一人柳田国男は、神社の立てられる場所を関東のような台地においては水が湧き出るところで、そこから田畑に水をひいたとみなしました。

神社は共同体の宗教的儀礼の要であり、そして財の再配分の経済的場所だったということになります。

そして神社は国家神道批判があるように天皇に一元化されるシンボルだともいわれるのですが、もともとはその土地の神であり、日本が場所連合として成立する際に天皇をその連合体の象徴にする際に天皇家との関係も付与されたものです。

もちろん日本全体の財の配分、税やサービスの貢納とそれに対する報奨というように国家レベルでの経済と象徴の統合的行為があるわけですが、さらに個別の場所において経済的機能を担っており、共同体の中心でした。

現在も最も古くから残っているものは神社と地名、地形と仏閣などが多い。

これは思想というより、共同体の歴史、精神史ともいうべきものであり、現在でも活用されるのを待っているのです。

そしてそれにはまず象徴として取り戻さなければいけないだろうというのが、私の主張です。


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