2014年5月5日月曜日

ふんばろう東日本プロジェクト

震災のときに考えたことを皆忘れようとしています。まるで青春の痛みのように。しかしそれでいのか。あれは被災当事者以外にとってアメリカン・グラフティだったのか。

早稲田大学
これは2011年6月29日。家庭にあるいらない家電を集めて被災地に送るプロジェクトです。

















 朝テントを設営してそなえました。
ふんばろう東日本
 老若男女学生社会人混ざっていました。私は職安通いだったので参加できたのです。


















家電プロジェクト


 このように設営して家電を持ってくる人を受け入れたのです。

















 今思うと他大学の学生もたくさん来ていました。

















 ふんばろう東日本支援プロジェクトです。

















 代表の西條剛央現准教のあいさつ。

















 大隈講堂をのぞむ。


















 受付でこうやって通電をチェックしてたんですね。

















 立て看板をつくって門に持っていった。

















汚れをとって清掃していた。

















 わりと集まってきた。


















テレビ局もきていた。

















 この後何回も会合に参加したのだが、被災地に行く余裕がなく、自分が役に立っている感じが全くなかった。傍観者として、問題を忘れないため、という意識が強かった。この後に被災地支援ファンドの集まりで被災地の事業者の話を聞き、津波の影響で地盤沈下の問題が、かさ上げするか高台移転かで決まっておらず、ゆえに復興がストップしていると聞いた、個別には決めた自治体もあるが、三年たった今も決まってないところがある。

 ボランティア団体ふんばろう東日本ではこれが縁で結婚した人も何組かいた。ここではないが他の場面で私は普通に情報を聞こうと思っているだけなのに、言い寄っていると思われて閉口したことがあった。

 正直に言えば、この時昼食に何人か組で交代で行かされたのだが、この人と行きたいなと思った人とは行けなかった。でも被災ボランティアで来ているのでそういうことは関係ないと思った。その人の姿はその後見ることはなかった。

 婚活のはなしになり「何をしているのか」と問い詰められて困ったことがあった。職業訓練を受ける準備をしていたからで、その後仕事が決まってから聞かれれば答えられたが、そのときは逃げるしかなかった。

 ただここに参加していなければ職業訓練も動画配信の仕事もやらず、被災地支援ファンドのことも知らなかったかも知れない。人にとっては単に余計な回り道で、何にもならない負け犬の道かもしれないが、わたしはこうであるしかなかった。
 
FBもこの団体の必要で始めて、そうでなければ入らなかった。今でもFBは緊急時の連絡網のように思っている。

 ここに参加した人たちのその後の幸せを祈るしかない。


これは早稲田からの帰り道に撮ったもの。たそがれがせまっている。







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