2014年5月17日土曜日

人間本性について(フーコー対チョムスキー)

チョムスキーは言語学における変形生成文法の設立者で言語学者、左派の思想家として有名で最近来日もしました。以下はフーコーとの対談ですが日本語字幕ですが時間が十分の一ぐらいしかありません。フーコーの視点は左派のいうような政治改革の可能性について徹底した批判の立場で、マルクス主義と構造主義の対決ともいえます。サルトルはフーコーを「ブルジョワジーの最後の砦」といいました。日本でフーコーは吉本隆明と元東大総長の蓮見重彦氏の通訳で対談しました。
フーコーは左派が批判の対象にするような警察や軍隊のような組織と、病院や学校という福祉の領域に入るような制度を近代社会の装置としてセットに見ます。そして基本的人権を支えるような人間本性の定義を時代とともに変わるものとし、人間についての永続的な定義を否定しました。フーコーの定義だと左右の違いはほとんどなくなり、近代社会とそれ以外の社会に分かれてしまいます。理論的反人間主義とは人間について固定的な定義を避けるものであり、永続的な問いかけともいえます。理論的反人間主義こそが真の人間主義の唯一の道だ、といったのはルイ・アルチュセールという人ですが、理論というものにどう向き合うかが文化の要であるという考え方だといえるでしょう。
つまり現在の社会での「正義」が、来るべき世界に必要とされているかはわからないとするもので、普遍的正義は西欧の財産であるとするチョムスキーとの対決です。
 そうなると、政治における主体性がみえなくなります。フーコーはニーチェをひいて無秩序の暴力の連続的発展の歴史としますが、それだとたまたま勝った者が勝っただけになります。

 フーコーとチョムスキー ~人間本性について~(日本語字幕)1/2、 2/2



フル動画は以下です。

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