2014年5月14日水曜日

付和雷同の広告収入

アドセンスが承認される方法がわからないのでむなしく過ごし、何か批評的突込みがないと改善の余地がないなと思ってあせり、他の人の投稿にコメント入れてみても意味不明にしかかけず、こうではないかと思っても遠慮し、強い意見は後回し、無駄な対立は避けたい、記事にして書いても誰も読まないし他人の参考にならない、というわけで失敗観が強いです。思い出せば十年は書いてました。
池田さんがちきりんさんの日記をRTしてましたが、

みんなが叩く人は自分も叩いていい、と考える人は怖いですAdd Star

私の意見と無理やり合わせてみます。
こういう人は情報伝達だけして自分の意見がないのです。あるいは自分を表現してないので、誰かがいったこと、やったことを鵜呑みにするか、自分の利害関係の打算で動いているのです。

これは池田さんの、本を読むかどうかと、ブログはアートであるということに対する応答記事

イケダさんへの応答

に書きましたが、吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」の自己表出と指示表出という言葉が元で、それにラカンのシニフィアン理論を重ね合わせています。

指示対象抜きの言葉、という考えは観念論として退けられてきましたが、一般的な解説は

吉本隆明『言語にとって美とはなにか』を読む(1)高橋順一Auslegung-Yoshimoto-Takaakis 

でもご覧ください。

社会・商品・制度の現代神話の枠組みでは上限が設定されていて、その穴埋めをするだけで創造性はないのです。そして必ず限界がやってくる。


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