2014年5月24日土曜日

子供を虐待する保育所改革

子供から学べる、と考えている親は少ないです。自分の面倒を自分でみれない未熟な存在としか子供をみてません。

 「「子供のための保育」から「親が働ける社会」へ。発想の転換なしに日本の未来はない。」

子供のための保育ではなく、親が働けるための保育を、とありますが、それならそもそも子供はいらないのではないですか。

なんのために生んだのでしょう。面倒だから買ったペットを捨てる、ごとき乗りです。

これだと一番効率いいのは子供をなるべく多く一定の空間に詰め込んでおとなしくさせる工夫でしょうね。

成人まで扶養するのも面倒でしょうから、早く大人にして働かせればよいのではないでしょうか。

ヒューマニズムの破綻への反動から、こうした機能主義が跋扈するのでしょうが、人間とは何かを忘れてこうしたところに落ち込んでいく議論は空恐ろしさを感じさせます。

ヒューマニズムとは別のところに本質論が求められるのはいうまでもありませんが、こうした議論の方向性だけでは結局子供の精神の破壊を生むでしょう。

こどもを生めと言って、子供の立場を抜きにせよ、と発想転換する、子供にとって未来が無いのであって、経済(学)的議論だけで割り切ろうとする限界である。


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